『Moondawn』- Klaus Schulze (1976)


1. Floating
2. Mindphaser


Klaus Schulze - electronics
Harald Grosskopf - drums


 余り声を大にして叫んでも意味が無いのだろうかと虚無的な気分にもなるのですが、書いてみることにしました。『Moondawn』、1976年作です。

 もしかしたら半分ぐらいの方は、この作品は本人の手により一度大きく「化けた」ことを御存じ無いかも知れません。すなわち、1990年の初CD化の際に、ノイズをメロトロンで誤魔化す処理を施し、さらに大幅にミックスも変えてしまったという(改悪のような表現にしておきますが)、オリジナルに慣れ親しんだ方が激怒したであろう事後処理のことです。

 シュルツェの言に拠ればやはりファンの反応はその通りであったらしく、95, 05年の再リリース時には、オリジナルマスターでの再発となりました。本人はノイズに不満を持っているようですが、"〜 but the most important thing is that the fans are satisfied."という諦めにも似た思いを吐露してこの作品には蓋をしてしまったようです。

 私もこのような経緯を知っていましたし、多くのHPや通販サイトでも別ミックスを完全否定する言葉が多く見られたため、当然の成り行きとして、"別ミックスの方を"入手することになる訳です。難儀な性格です。

 それで早速聴いてみると、これがとても素晴らしい。というか、私は今更このような衝撃的な名盤に出会えるとは思ってもいなかった。1曲目の「Floating」は、謎の男性による、アラビア語を編集したらしい「語り」の導入に摩訶不思議なSEがバチバチと頭の中に吸い付くような広がりを見せ、次第に輪郭がはっきりとしてくる左右非対称なシーケンス・パターンを背景にグロスコフとシュルツェの即興演奏が神聖に盛り上がっていくというストーリー。その音作りはまさに彼岸の音世界そのもので、文字通り雲を掴む様な、この世のものとも思えない、少なくとも耳で聴く物ではないものなのです。そのような音世界は私にとっては未知の領域、初めての体験であったせいで、初めの内の数回は手の平に冷たい汗を流し、気分が悪くなって、後半の凄まじく酩酊的な、恐ろしく現実感の無い狂気染みた盛り上がりに耐えられなくなり聴くのを止めてしまうということを繰り返していました。それでも、気分が悪くなるほど気持ちが良い訳であり、中毒のようになって聴き続けている内に、ある程度本気にならなければ大丈夫だという些か本末転倒気味なところに落ち着いています。

 この類はいわゆるトランス・ミュージックというものであるらしいので私も興味を持って色々調べたのですが、例によって碌な物が見付からない。どうも皆一様に現実感が有り過ぎる。「Floating」を聴いていて船酔いに似た覚束無さ、貧血の時に現れる赤い星のようなものに似たSEというもの(訳が分かりませんが)が無い。世の中の人々は"風景"は見たがるようですが、"体験"はしたくないのでしょうか。

 「Floating」は私にとって"体験"でしたが、「Mindphaser」は、"風景"です。つまりこの曲はその他のシュルツェ作品にも近く、安心して浸ることが出来ます。オルガンが響く辺りから詰まらなくなるのが残念であり、前半までの世界観が最後まで続いていたら……と思わずにはいられません。

 ここまで強烈な"別ミックス"がファンに不評だというのならば、オリジナルマスター版は如何なる物なのだろうかと私が途方に暮れてしまったことは想像に難くないと思います。同時にこのような音楽を平然と貶してみせるシュルツェのファンの方々はとんでもない耳と感性をお持ちなのだなと戦慄したのでした。

 逸る気持ちを抑えつつオリジナルマスターを入手。早速聴いてみると……。

 とても現実感溢れる音楽でした。私はこれなら手で掴めると思います。現実感。まさにこちら側の世界の音。しかし私は失望するどころかとても安心しました。強烈過ぎた別ミックスの「Floating」は、私に少なからず音楽に対してトラウマを与えたのですが、同じ曲がミックス違いでこれ程何でもない曲になる。何だ、大したことないじゃん、と大いに元気付けられました。――言い換えると、逃げた訳です。
 多少オリジナルの方をフォローしておくと、シーケンスはこちらの方がはっきりと左右に振り回される感じが出ているので良いと思います。ちょっと音の輪郭がはっきりし過ぎているきらいはありますが……。序に言っておくと、オリジナルの方は全体的にチープな印象を受けます。


 ということです。結局、何で別ミックスが酷評されてオリジナルが評価されているのか良く分かりませんでした。私の耳と感性が腐っているのでしょうか。それともオリジナルと別ミックスを取り違えていたりして。


 思わぬ所に名盤が転がっているかも知れないという一つの事例でした。


 Youtubeで聴けるものは、どちらのミックスにも似ていません。メロトロン・コーラスが聴こえないので、オリジナルの方っぽいのですが、両者の平均のような感じです。単に音質が悪いだけでしょうが。