『BBC 1974 - Londres』







Klaus Blasquiz - chant, percussions
Claude Olmos - guitare
Michel Graillier - piano Fender, claviers
Gerard Bikialo - piano Fender
Jannik Top - basse
Christian Vander - batterie, chant


Theusz Hamtaahk  30:04

 『Theusz Hamtaahk三楽章』の第一楽章である「Theusz Hamtaahk」です。この第一楽章は未だに正式録音されておらず、ライヴ盤しか存在しません。ですが、このBBCでの録音はほぼスタジオ録音に近いと考えることが出来ます。ヴァンデが絶唱しています。

 まず断っておきたいのですが、私は「Kohntarkosz (Part1)」が無ければPart2など存在しないのと同義だと考えます。他所のレビューを見ますと「Kohntarkosz」の前半部分が眠くなるという意見が有りますが、とても信じられません。恐らく皆様余りにもお忙しいために私の様に徹夜をしてでも何百回も聴く、という機会が得られないのだと思います。どうか暇を見つけるか寿命を削るかして聴いて下さい。因みに『Toulouse 1975』盤において、ロックウッドが弾くべきところで弾かない部分(06:10〜)が有りますが、却って強調される重いベースと不安を誘うフェンダーローズの未曾有の脈動感に私は気を失いそうになります…って、脱線しました。

 話を戻して事情を説明しますと「Theusz Hamtaahk」には2種類有りまして、1974年以前と以後に分かれます。「Kohntarkosz(Part1)」が不当な評価を受けているのと同様に、「Theusz Hamtaahk」のこの初期型が余り取り上げられていない。私は初期型で初めてこの曲に出会いましたが、「憎悪の時/究極の瞬間」の名を冠するに相応しい、激情に駆られた演奏は後期型のどの演奏も及ぶものでは無いと感じます。実際、後期型の収録された数多のライヴ盤は私を全く満足させません。「Theusz Hamtaahk」はこんなに退屈な楽曲では有りません。

 何故これ程の違いが出るのか曲を聴き比べますと、まず第一に圧倒的に違うのがヴァンデの暗くて重いマーチングドラムに併走するベースなのです。初期型はJannik Topが彼特有の細かい地響きのような音圧で弾いていて、何かをぐつぐつと煮え滾らせているかの様です。終始このベースを聴いているだけでスリリングです。

 第二に、Gorutz Waahrn' パート以降です。後期型では個人的に一気に盛り下がる瞬間ですが、初期型では直前のZeuhl Wortz(これも後期型, 特に2000年のパリライブは詰らない盛り上げ方をする)の緊張と高揚を保ったまま、"Atuh"をひっくり返った声で連呼します。この裏で脈打つTopのベースと共にあっては、私の身体能力ではとても耐えられません。首の骨が折れそうです。Tu Lu Li /E Ui Du Wiiパートもブラスキスかヴァンデのどちらが歌っているのか、声が完全に裏返っていて判然としないのですが、前節を受けてここでも怒涛の絶唱を聴かせてくれます。多分最後に喉が裂けそうな絶叫をしているのがヴァンデです。何気に位相をずらしたギターの追従が格好良い。Se Lah Maahri Donsaiにおいては、このパートに移る瞬間とその後のドラムが異様にキます。ブラスキスと共に完全に白目剥き出しであろうヴァンデが恍惚の裏声で歌っていますが、ここでも裏で暗躍するフェンダーが冷静にミニマルフレーズを紡ぎます。素晴らしい仕事人です。

 第三に、彼等のトランスの仕方が何時に無く激しいことです。Se Lah Maahri Donsai後半に霊的なスキャットが段々と上昇していく部分が有りますが、頂点に達したところで開放される彼等の声はまさしく"究極の瞬間"を希求するものです。楽曲が束の間の静寂に包まれて、呪文をつぶやくヴァンデの声。"Theusz Hamtaahk ... Theusz Hamtaahk ..."を繰り返し唱えるその声は人のものとは思えぬ説得力を持って我々に迫ります。

 大体凄すぎる曲を紹介しようと思うと実況中継的になるのが私の悪い癖なのですが、もう少しお付き合い願います。
 ここから先、所謂Zortsüngパートですが、この次にこれが聴ける76年のテイクになるともうここの解釈が変わってきます。2000年頃になるともう明らかに、ここの部分は儀式の終焉、最後の爆発前に向けた"静寂と瞑想"という感じなのです。ところが74年のこの曲の同じ部分は前パートの勢いを全く殺さず、一気に恍惚の世界へ飛び出したような爽快感が漂っていて、特にヴァンデの裏声は何故か希望に満ちている。2000年以降のテイクを聴くと私は「ああ、もう終わるんだ」と感じますが、本音源では永久に、この前進する力が続くような気がしてきます。そしてそれは自然にブラスキスの超絶的なヴォーカル・パフォーマンスへと繋がっているわけです。こんな声が人間に出せるんだ、という声です。
 いつものコーダが演奏された、と思ったら妙な追加コーダが聴けます。これは確かに蛇足感が強く、76年のテイクでは既に消滅しています。

Köhntarkösz  27:26

 ハマタイ!から始まります。収録時間からも分かるかと思いますが、本来30分強となる「Kohntarkosz」よりも3分程短い構成で、実は「K.A.」から「Kohntarkosz」へ移行する途中経過のような音源になっています。マニア向けと思われますが、ヴァンデが歌っていて、曲がりなりにも「Kohntarkosz」であり聴き所もあります。
 詳しく見てみると、イントロから少し行ったところまでは普段通り。「ド・レ・ミ」ならぬ「ド・ヴェ・リ」の呪いが掛け終わった後、「K.A.」の「Om Zanka」パートへと移行します。かなりゆったりとしたテンポで、前曲同様ヴァンデの幽玄な裏声と、鳥の鳴き声を模したような声が飛び回ります。表現力という点では、流石のブラスキスも影が薄くなります。そのまま暫く進むと、聴いたことのない展開が少々。繋ぎの静かな部分は数多いその他のライヴ盤と同様です。変わってくるのが、ソロの辺りからで、背後にあるリズムが普段のものと異なります。いつもの通りなら、このままコーダまで一直線なのですが、このテイクでは「ハレルヤ」の大絶叫の応酬になります。大音量で聴いていると耳をつんざくような奇声による「ハレルヤ」を聴かされることになり、結構危ないと思います。
 この「ハレルヤ」パートは「K.A.」のものとは関係ありません。向こうは綴りを見る限り「アレルヤ」らしいのですが、こちらは「ハ」と言っている気がします。多くの方には如何でも良い違いでしょうが。